白鵬への形容。日経新聞コラム『春秋』について
 大相撲初場所が始まった。モンゴル力士、白鵬(ムンフバト・ダバジャルガル)関の一人横綱の構図は変わらず。1月10日も勝利し、磐石な様子である。そんな中、2ヶ月前の日本経済新聞『春秋』を思い出した。
 先場所の九州場所2日目(11月15日)横綱白鵬は平幕・稀勢の里に寄り切られた。初場所14日目の琴欧洲戦から続いていた連勝は「63」で止まり、史上1位の横綱・双葉山の69連勝の記録を塗り替えることはできなかったことは周知のごとく。敗戦の翌日、日本経済新聞朝刊『春秋』でこんな記事をよんだ。
■日本経済新聞朝刊『春秋』11月16日より・・・
69連勝の双葉山は、安芸ノ海に破れたあと同じ場所でさらに3敗した。大横綱にして心折れるところがあったのだろう。双葉山への畏敬を隠さない白鵬はどうか。「自分はこんなものじゃないかな」。敗戦の弁を語る姿は自嘲気味に見えたが、まずは今場所のこれからを注視している。この好漢にはそう伝えたい。
ここでの「好漢」という単語を見たとき、日本経済新聞『春秋』の良識を疑った。今では「好漢」とは気性のさっぱりした愛すべき男と解されているようだが、モンゴル人の誇りである白鵬関へ使用するにはいささか不適切な言葉でなかろうか。
 「好漢」の派生は中国の万里の長城に記されたこの言葉から来ている。「不到長城非好漢」。
意味は「最後の目的地に到達しなければ好漢といはいえない」。つまり、強力な武力を有した北方からの匈奴やモンゴル民族からの攻撃に真っ向から攻めていく漢民族のことを「好漢」と呼んだのである。時代は変われど、モンゴル人に対し「好漢」と評することは漢民族的価値の押し付けとなるきわめて失礼な形容でないかと憤慨するのは私だけではないはずだ。
 ここ最近、モンゴルといえばレアメタル的な論調で歴史・文化面に配慮を欠く経済紙特有の紙面上の性格であり、日本経済新聞を故意による名誉毀損と攻めるものではないのかもしれないが、この日のコラム『春秋』には失望された記憶が残る。経済紙はドメインを理解し文芸の世界を濁してはならない。

コメント

nophoto
Natalia
2014年4月28日20:09

Ya learn sontihemg new everyday. It’s true I guess!

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