両国で開催している『モンゴルの至宝展』に想う
東京、両国で開催されている『モンゴルの至宝展』を見に行ってきました。
中国には56の民族が住んでいますが、その中の一民族であるモンゴル民族(450万人)が暮らす内モンゴル自治区の内モンゴル博物院所蔵から、今回から多くの中国国家一級品が日本へ運ばれ展示されています。
そのため独立国であるモンゴル国からの出展がなく、『モンゴルの至宝展』と題した割には強い、偏りが顕著に感じられました。特に、あまりにも「龍のトーテム」が使われた展示物が多い(多すぎる)。モンゴルの中国への同化が見てとれる展示内容に、私は食傷してしまった。日本人の「モンゴル(Mongolia)」のとらえ方がこの展示会でコントロールされてしまうような怖さを感じました。
また、昨年、上野の美術館でみた中国の「チベット展」の展示物がここでも展示されているのには少しがっかりさせられてしまった。使いまわしというわけではないんでしょうけどね、同じ中国のものだからやりやすいのでしょうが…。

展覧会でモンゴルを見たいのだけど中華思想を見てしまったという、憂そうとした気分を晴らしに、帰りは両国にあるモンゴル国の料理店「ウランバートル」へ直行。
ハルシュルをはじめ、おいしいモンゴル料理をたべ、モンゴル国のテレビ番組をながめ、モンゴル人のお客と話をし、またウランバートルの料理人と話をして、モンゴル文化を注入。展覧会でたまったストレス(憂さ)を晴らししました。

■『神なるオオカミ(上)』ジャンロン著(講談社)より抜粋。
 出版され2年が経過していますがこの書物の影響力はいまだ大きいです。“Монгол(モンゴル)”を知りたい方にぜひ読んでいただきたい書です。
ヤンカーは反論した。
「だけど、中国人のほとんどは農民化、農家の出身者じゃないか。漢民族の農民気質はステンレスより硬くて、草原にきたら、オオカミの皮を全部剥がしてしまいかねない。漢民族は農耕民族で、草食だから、心底オオカミが怖いのさ。それなのに、オオカミ・トーテムを拝むわけがない。漢民族が拝むのは農業の運命をつかさどる龍王だ。龍のトーテムだよ。ひれ伏して拝み、恐れうやまって、理不尽な境遇を耐え忍ぶ。モンゴル人みたいに、オオカミに学んだり、オオカミを守ったり、オオカミを拝んだりしながら、オオカミを殺したりすることなんでできない。なんのトーテムであれ、それぞれの民族をふるいたたせるものなのだ。龍が飛立ってオオカミが躍り上がるようにね。農耕民族と遊牧民族はあまりにも違っている。これまで、漢民族の海に浸かっていたから、気がつかなかったけど、草原にくると、ぼくたち農耕民族の弱点を知らされる。ぼくのお父さんは大学の教授だけど、父さんの実家も母さんの実家も全部農家だぜ」

陣陣が話し出した。
「古代に、漢民族の人口の百分の一しかなかったモンゴル民族が、世界を震撼させ、漢民族より大きな影響力を持つようになった。いまでも、漢民族は西洋ではモンゴル人種といわれているし、漢民族もそれを受け入れた。しかし、秦と漢が中国を統一したとき、モンゴル民族の祖先はまだモンゴルという名前さえもなかった。僕は漢民族が悲しいよ。中国人は万里の長城という大きな城壁を築いて、自分たちが世界の中心で、中華帝国は偉大だと自負してきた。ところが、古代の西洋人の目には、中国はただのシルクの国、陶磁器の国、お茶の国としか映っていなかった。ロシア人ときたら、歴史上の小さな国、契丹が中国だとずっと思っていたんだ。いまだに中国をキタイと呼んでいる」

■『神なるオオカミ(上)』ジャンロン著(講談社)■

コメント

yasai
2010年3月7日21:57

モンゴルの至宝は朝青龍だと思います

nophoto
Mongol ohin
2010年3月7日23:17

私この「神なるオオカミ」を2年前買ったが、いまだに読み終えてない。。。

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