それは10月の澄んだ空の夕暮れ。
モンゴル人の友人と東京モンゴル料理店めぐり。東京都内のモンゴル料理店を山手線に乗ってはしごしたときのこと。モンゴル料理店のカウンターでそのモンゴル人とチャンスン・トルゴイの話をしていた。羊の頭をモンゴル岩塩で丸茹でしたこの料理、特に羊のほおの部分、そして舌の肉のコリコリ感、とろりと口に溶ける、コラーゲンたっぷりの「目」がおいしいモンゴル料理である。モンゴルで食べたあの味は忘れられない、美味しかったよなどと思い出話をしていたら隣に座っていた日本人から「信じられない」と異議をとなえられる。この日本人とはこれまでまったく面識はないのだがそこはモンゴル料理店。モンゴルを少なからず愛する人たちの共同体。монгол архиをはさみ意見交換が始まる。

羊肉にとどまらず羊の頭まで茹でるなんて。羊の頭の皮をはいで舌を切り、しかも目までくりぬいて食べるなんて、残酷極まりない。いくらモンゴルの主食が肉といってもありえないと言う日本人。
モンゴル人いわく、なぜ日本人は好き好んで魚の卵を食べるのか?まだ生まれていない魚の卵を食べることこそ残酷野蛮ではないか、との斬り返し。立て続けに、日本料理の刺身料理ってなんで真ん中にこれ見よがしに魚の頭を飾るのか意味不明!!とヒートアップ。しかも食べずに飾るだけ。魚が口を開け悲しげに天井を仰いでいるのは何のため?食が進まないし魚がかわいそう。
いやいや、魚の刺身に敬意を表し魚の頭を飾っているのだよ。このお魚の肉です食べてくださいと料理人が魚に最後のアピールをさせているのだよ。日本流の刺身の盛り付けこそ魚の生命を尊重している証拠なのだよ。
その日本的考えは理解不能。生命を尊重する心を持っているならばなぜ、小さな小魚までシラスにして食べてしまうのか。将来を閉ざされ、成長する前に食べられてしまう小さな魚たちのたくさんの黒い目が怖い。
манай монгол найзの意見に共感。монгол архиを飲み干し別のモンゴル料理店へ…。

そういえば「東京モンゴル・チョノさんですか」と聞かれる事が増えた。聞かれた際は素直に「はい、そうです。よろしく」と挨拶するようにしている。しかし「いつも読んでいます」などと返された時には、先ほどのシラスではないがその人の黒い目が限りなく気になる。筆不精の種となる。ネタはあってもブログ更新が進まなかった理由である。
知っていても口に出さないほうが良いことの方が多いのではないか。

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