1月1日・・・япон цэрэгvvдийн булшны улбаа(日本人墓地跡)-②
1月1日・・・япон цэрэгvvдийн булшны улбаа(日本人墓地跡)-②
1月1日・・・япон цэрэгvvдийн булшны улбаа(日本人墓地跡)-②
япон цэрэгvvдийн булшны улбаа(日本人墓地跡)へは夏ではなく厳冬の時節に行くことをお勧めします。
日本人が過酷な労働を強いられた当時の厳しい寒さを肌で体感できるからです…。夏の観光とは一変する厳冬の雪一面の中、日本人墓地跡では一味もふた味も違う重みを実感。

さて写真のおじいさんと一緒に写っている文字の書かれた一本の木は、モンゴルと日本の国交のなかった時代、モンゴルで強制労働に従事した兵士の遺族が残していったものだそうです。遺族会は日本人兵士の骨を掘り起こし、仏陀にふし日本人墓地の建設を要望していましたが、社会主義時代、敵国関係であった日本にモンゴル政府から許可がおりませんでした。しかし、日本人の墓を作ることが認められない中、熱心な説得と要望の結果、当時のモンゴル政府から「諸士よ祖国日本は」と書かれた木は残しても良いとの許可がおりたようです。これならば敵国関係にあっても両国に支障はない中間的な文章だったのでしょう。
遺族は「諸士よ祖国日本は…」をこの場所に残し帰ったとのこと。
月日が流れ、40年後に日本人墓地が完成されました。遺族たちは残した木に「見事に復興しました」と追記したとのこと。「諸士よ祖国日本は 見事に復興しました」。感動的な話です。

2007年の夏、皇太子がこの地を訪問し約30分間黙祷しました。
その際この木にまつわる話を聞いたとのこと。そこで「40年間もこの木はなぜ無事だったのでしょうか?」とたずねられたようです。この写真のおじいさんが「残されたこの木の上に私が鉄板をはめ込みました。水が木に入らないようにし、木は腐らずに40年間持ちこたえました」と回答したそうです。

敵国であったモンゴル国では第二次世界大戦で敗北したアジアの国、日本に対する同情心が強いようです。

■〔写真〕日本人墓地。-40度近い寒さ。
現在この丘を取り囲むように桜を植えているとのことです。

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