「今年の年末、モンゴルへ行ってもよいでしょうか」となかなか躊躇して言い出せないでいる。それは、この後に「モンゴルでオオカミ狩りをしますので・・・」という言葉をつづけるから。
モンゴル国の友人からモンゴル草原でのオオカミ狩りに誘われている。嬉しい限り。しかし、自分自身のモンゴル語の力不足がネックとなっている。オオカミ狩りではボコボコの雪に覆われた真っ白の草原をジープで乗り付ける。モンゴル人数人と銃でオオカミと対峙するわけだが、同乗するモンゴル人たちとのあいまいなモンゴル語でのコミュニケーション不全は大きな事故の原因となってしまう。

オオカミ狩りは普通の狩と絶対的に異なる。スポーツや観光ではない。
通常「狩」と言ってしまえば、ウサギ狩りや鹿狩りなどは人間側からの対象動物に対する一方的な搾取であり、ゲームであり動物いじめみたいなものである。しかも「狩」をする人間側の安全性確保が大前提となっている。

しかし、オオカミ狩はまさに人間対オオカミの戦いである。人間側がオオカミに対し攻撃にうって出ればそこには必ず隙が生じる。そこをオオカミに見透かされれば人間側が殺られる。オオカミ狩では人間側が負けることも頻繁にあるようだ。このようにオオカミ狩りは人間対オオカミの真剣勝負であり、その両者の関係はモンゴル草原のテンゲル(天)の下に平等なのである。よって生半可なモンゴル語の理解では己の命を落とす危険性があり、また狩に同行する現地のモンゴル人に迷惑をかけることとなる。
しかし・・・行きたい。最大のチャンスは今年の冬。スケジュールでは今年の年末年始はカレンダー上9連休が確保できる。2009年からは5連休しかとれない…。
がっつりとモンゴル語をむさぼりつつ・・・ランニングでの足腰強化をすすめるか。回答期限は12月10日。間に合うかな。

■『神なるオオカミ(上)』講談社 ジャンロン著 2007.11.27より抜粋。
モンゴル草原では人間とオオカミは昼も夜も戦い、小さな戦いはしょっちゅうで大きな戦いも時々ある。人間とオオカミの実践は世界中すべての農業文明国の人間対オオカミ、人間対人間の戦争の頻度をはるかに超え、西洋の遊牧民族の戦争よりもずっと多い。そのうえ、モンゴル人は長い間、残酷な部族紛争、民族戦争と侵略戦争を繰り返しそれによって戦争に対する才能が絶えず強化され向上していった。
だから、モンゴル草原の民族は世界の農耕民族やほかの遊牧民族よりも、戦争に慣れ戦争をわかっているので、生来、軍事的に優れている。周、春秋、戦国、秦、漢、唐、宋の歴史からみれば、中国は人口や国力では絶対的に優勢を占めていた農業文明の大国であったのに、いつもモンゴル草原の小さな遊牧民族の攻撃によって山河は荒廃し、主権を失い、国を辱められてきた。宋時代の末期には、モンゴル人のチンギスカンが中原に入ってきて、中国を一世紀近く統治した。中国の最後の封建王朝である清朝も遊牧民族によってつくられたのである。
農耕民族の漢民族には、卓越した軍事教官であるオオカミがいないし、オオカミを相手に絶えず厳しい訓練もできない。古代の漢民族は『孫子兵法』をもっていたが、机上の空論であり、まして、『孫子兵法』の本をただせば「オオカミ兵法」である。

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